馬の名前はジュリア
2003年5月26日に生まれの女の子です。
お父さんはフェブラリーステークスを勝ったあのメイセイオペラ
お母さんはグレシアンライコー。(母の父 ゲイメセン)
メイセイオペラは地方所属のままで中央のG1競走を勝った唯一の馬です。
そのメイセイオペラの子どもということで、みんなの賛同を得、6人が馬主になりました。
以下は
2 着 8 回
3 着 7 回
4 着 3 回
5 着 3 回
着外 22 回
18勝の中に重賞勝ちもありました
今から 3年前の2008年 8月 牝馬の重賞「ビューチフルドリーマーカップ」でした。
ジュリアに拘わった組合馬主みんなが(確かめてはいませんが)正直勝てるとは思っていなかったようです。
当日仕事で水沢には行けませんでしたが 僕も電光掲示板に 馬番が挙がればいいかな程度に考えていたのです。
その日 北海道から観戦に訪れたYさんがゴール直後「勝っちゃいました」と 興奮気味に電話をくれたのを思い出します。
「ビューチフルドリーマーカップ」から 1ヶ月半後
盛岡で「マイルチャンピオンシップ南部杯」が行われました
このレースは JRA(中央)・NAR(地方)の一線級が対戦するダートグレードレースで最もグレードの高い G1の競走です
ジュリアはこのレースに出走することができたのです
レースは ハナを切れない厳しい展開でしたが 精一杯のレースぶりにみんな納得の表情でした。
この写真は 引退レースとなった 2010年 1月10日 水沢競馬場装鞍所でのジュリアです。
手綱を持って曳いてくれたのは担当厩務員の下田さん。
疝痛(競走馬にとっては命にかかわることもある腹痛)になったりしたジュリアを献身的にお世話いただきました。
ゴール後 後検量に戻ってきたジュリアと斎藤雄一騎手(小西 重征厩舎)
斎藤騎手には 41戦 ジュリアとコンビを組んでいただきました。
(他・・菅原 勲騎手 18戦・小林 俊彦騎手 1戦・関本 淳騎手 1戦)
この最終戦のジュリアは 7枠 8番でした。
ファイナルレースも電光掲示板に番号が挙がる 馬主孝行なジュリアでした。
61戦して 1着18回 2着 8回・・・連対率 42.6%
5月 ダンシングカラーと種付け。
ダンシングカラー・・・・ 2001年ジャングルポケットが勝った日本ダービーの 3着馬
2003年引退後 ダンシングブレーブの後継として種牡馬生活に。
僕ってそんな表情でしょうかね・・・・・?