旅の始まりはこの写真のバックに映っている羊飼いのおじいさんを見たことがきっかけだったかもしれません。
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これが上のおじいさんにくっついていた解説です。
前のページに書いてあるようなことが書かれているものと思われます。よくわからないけど、たぶんそういうことです。 |
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出かけたのは1999年の9月のことでした。
日本エアシステムの直行便で一気に西安まで飛びます。 西安は昔の長安ですね。 京都のような感じとでもいいましょうか。けど、内包する歴史的遺物はすごいです。あの西遊記で有名な玄奘三蔵の足跡もここに残っているのですよ。 ここからはもう、車で行くしかありません。 場所は西安から100キロ、楊貴妃の墓から西へ30キロほどの老武功というあたりだそうです。 |
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折しもトウモロコシの収穫期に当たっていて、もぎ取られたそれらが、まるでモンキーバナナのように木の枝や家の屋根に干してあるのです。実に壮観。
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途中、車を止めては道を聞きながら、未舗装の乾いた道路を、シェイカーの中味のように揺られつつ走ることしばし、小さな村に着きました。
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蘇武の墓はその村のトウモロコシ畑の際に建っていました。
直径5メートルばかりの草の生えた土まんじゅう、見た目にはそのようなものですが、 まぎれもなく前漢の時代の歴史的遺物です。 それにしても中国はすごいですね。 紀元前の遺物がなにげなく残っているのです。 ただ、墳墓以外は文化大革命のあとから建て直されたもののようですが・・・ |
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こんもりした緑が墳墓 | 正面です | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石碑は後日訳してもらうためにビデオ撮影をしてきました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、ここでついでに超有名人の陵墓も紹介しましょう。
高宗・・・はそれほど有名ではないですが、その皇后で、後に中国唯一の女帝となった武則天との合葬墓「乾陵」です。 日本では則天武后としての呼び名が一般的ですが、中国では武則天の表記でした。 いやしくも皇帝になった人なのですから、その称号で呼ぶべきでしょうね。 蘇武の墓とのスケールの違いをご覧ください。 とはいえ、時代も違いますけど。 |
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少しわかりにくいかもしれませんが、左が参道で右の正面の山が陵墓です。ここは未発掘でもありますが、未盗掘でもあるとのこと。発掘が始まればどんな素晴らしい副葬品が出ることか、ものすごく楽しみなところでもあります。
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