2011年 それは東北が未曾有の大地震と津波の災害を体験した年でした

その前の年、須賀川市で「松明あかし」という火祭りがあることを初めて知ったのです
それまでの須賀川というと、円谷幸吉記念館ぐらいしか思い浮かばない僕でした。

12月 地元民放で松明あかしを取り上げた「魂の炎」という番組を見ることができました
今年の「松明あかし」は11月12日
郡山に宿を確保し 勇んで出掛けたのです

この「松明あかし」は、大軍を率いた伊達政宗と降伏をよしとしなかった須賀川城主大乗院との合戦で討ち死にした
多くの人々の霊を弔うため始まったとされています
須賀川城主の大乗院は 政宗の伯母でした
会津黒川城(若松城)の芦名氏を滅ぼした政宗は 伯母大乗院に降伏し城を出るよう再三手紙を送りました
しかし 大乗院は一切返信をしなかったようです
芦名氏には大乗院の嫡子 盛隆が城主として迎えられ、
滅ばされたときの城主 義広は大乗院の孫婿だったため 政宗に降伏しようとは思わなかったのでしょう

そんな経緯から 天正17年(1589年)旧暦10月26日 須賀川で合戦の火ぶたが切られたのでした
当初は一進一退の戦いだったようですが、
政宗に内通していた家老の手の者が城内に火を放ち落城その日のうちに戦いは終わったそうです

詳しく知りたい方は以下のリンクから跳んでみてください。
http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/taimatsu/index.html

今年は地元産のカヤと竹から
微量ながら放射能物質が検出されました

カヤや竹がなければ 祭りは実施できません
全国に呼びかけた結果、座間市・輪島市などから協力を得ることが出来たそうです。

針生のカヤもお役に立ったようです。
おかげで今年は 22本の松明が会場の五老山にそそり立つことになりました。

最初に点火されるのは
長さ10メートル・直径 2メートル・重さ 3トンと言われる「大松明」
この大松明が街のメインストリートを150人の若者に担がれ会場に到着します
松明の種類は「大松明」「姫松明」「本松明」
「本松明」は順次クレーン車を使って吊り上げられ所定の場所に固定されます
「大松明・姫松明」は伝統に則り人力で 建設が始まりました
大松明の上に立っている人が建設責任者です
彼の説明によると「前後左右では間違いが起きるので・・・」と前置きがあって次のようなルールになっています
写真の左が大松明の上になる方、右が地面に固定される方です
彼から見て右側を「東京」左側が「仙台」下になる方は「新潟」上は「いわき」だそうです
でも実際に号令を掛ける際に使ったのは「東京」「仙台」でした
かつぎ棒は12本ほどあったでしょうか
そのかつぎ棒は建設に際し、つっかえ棒になります
また昇降できる梯子が大きな役割を果たしました
梯子 4機を下からあてがって徐徐に建てていくのです
大松明がほぼ建ち掛けてから 梯子 2機は大松明が反対側に倒れないよう新潟側に移動しました
慎重に慎重を期す建設は 40分ほどで終わりました
では、松明が立ち上がる様をご覧ください。
点火は大松明から始まり、姫松明へ 
そして本松明へと進んでいきます
ただし一斉ではなく本松明は時間差での点火でした
燃えさかる松明群です。
この炎が復興の炎にならんことを切に願って。